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タロットと相互に対話することで話や理解が進んでいくとしたら、カード側からも質問できるようにしておく必要がある。よくわからないカードを無理矢理読むこともできるけど、質問としてそれを捉えるともっと対話が深まるかもしれない。
●届いたポラックさんの本を読んでいる。2002年に「魂の森:タロットを巡る旅」というタイトルで出版され、著者による大幅な改訂とアップデートが施された新版。Amazonでは随分前から予約可能になっていたが、著者の没後、ついに発行された。
各カードについての説明ページがまったくない、自分の好みのタイプの本!
ポラックさんとグリアさんが二人で講座をやったときに「魂とはなにか?」「タロットとはなにか?」をタロットに問うてみた、という話がおもしろい。個人的な質問じゃなくて、もっとすごい知恵をタロットに教えてもらおう、というこうした問いかけを「ウィズダム・リーディング」と読んでいるという。
クール・ド・ジェブラン「原始世界」から始まったタロットエジプト起源説をきっかけに、いろんなエソテリックなタロティストが「自分だけが正しい」とタロットの説を唱えてきた。それらに共通するのは古代の(神の)叡智がタロットには秘められており、他のすべての知識体系の背後にタロットがあるのだ、という考え方。これらの説は歴史的には間違っているが、神話的には大きな力を持っている。我々は神話を事実として受け取らなくても、その神話と遊ぶことができる。タロットは歴史的事実としては元々プレイング・カードだったのだから、そのプレイング(遊び)のところが重要なのだ、と。
エソテリックな人たちが「これが唯一の真実」としたのは、楽譜の音符を一つたりとも間違えてはならないクラシック音楽の奏者のようだが、現代のグリアやプレイスのようなタロットリーダーは、エソテリックな叡智を知りつつも自由にそこから逸脱するジャズ奏者のようだ、と称したり(ウェイト博士はジャズはキライだったろうけど、結局ウェイト=スミス版がジャズを演奏する楽器になってる、だって!)。
この本そのものがタロットの叡智をふまえつつそこから逸脱していくジャズみたい、と言える。楽しい本。