●昨日の続き、エテイヤの神・霊・体の技法を使ったリーディング。
昨日はいつものやり方で(依頼された占いのように)文章を書いていたのだが、今日になると突然それでは続けられないことがわかり、まったく違うタイプの文章が下りてくることになった。
例えば、昨日のものは、
あなたは様々な物事を、パターン化して思考するのが得意です。普通ならバラバラに見える自性の中に共通して潜む、普遍的な原則やルールを見抜けるのです。原則を理解できるため、どんな出来事が起きたときでもその普遍的なパターンを見極め、落ち着いて対処できるのです。
あなたの好奇心は、個別のいろいろな情報や出来事そのものではなく、その水面下で働くパターンに向けられます。表面的なものより、根底にある原則を見つけることにおもしろさを感じるのです。このパターン化への好奇心は、あなたを普遍性の世界へ導いてくれます。
今日のものは、
安全な高みから飛び降り、無から有になったお前はもう一度天高く燃え上がる生まれたての心だ。中心にいるのはお前、喜びの宴に祝報が届く。その祝いを辞退し、退屈の中に沈み込むのか?
無駄な労働はやめてしまえ。お前には意志がない。しかしその炎は芽生え始めている。人と関わるな。考えるな、深く潜るな。育てるな養うな。対話を拒め、心を反応させるな。自分を自分の中から、神を世界の中から解放しろ。終わりのときだ。迷うな、お前は終着点にいる。まとめた力を解散させろ。同じことを繰り返すな。間違い探しをするな。終わった仕事を育てるな。
何も受け取るな、充分に持っている。泣くな、戦え、妄想の中で。いつものことだ不調和は。不平を土に埋めろ。もう運命は勝手に回らない。お前がすべてをコントロールする。月を欺け、電波をジャックしろ。危機が過ぎた世界に英雄を埋葬せよ。壊れた体は捨て新しい体を使え。スイッチは押された、もう後には戻らない。今から学びのはじまりだ、火を灯す者を頼りに進め。仕上げた哲学を再び確認し直せ。誰かが見守るのか? 違う、互いに見守るのだ。
エテイヤのメソッドがこのような文章を要請したのだろうか? あるいは神や霊や体の声としてこのような言葉になった? もしくは単に、長すぎるリーディングに集中力が途切れたため?
●前者のサンプルはある一つのペアから書かれた文章だが、後者は3列のカードすべてから書かれたもの。
前者の文体だと列全体の文章を書けなかっただろうから、後者の文章が出てきたのかもしれない。
後者のスタイルでもペアごとの文章を書いた・・・が、見返すとそっちは読むに耐えない。
●メニュー化しよう・・・と考えていたがこうなると思っていなかったので、どうしたものか。前者だとあまりにも長文になり、書く方も読む方も集中力が途絶えてしまいそう。もう少し実験が必要だ。
◎これを読んでいる方からリーディングモニターになってくださる方を募集します(ひとまず先着3名)。後者の文章のスタイルで進めてみる予定です。実験段階なのでなにが起こるかわかりません。ご興味ある方はTAZNまでなんらかの形でご連絡ください。 締め切りました。
●今日のゾ占いのテーマは「宇宙的楽観主義」。ルディアは、引き寄せの法則などのルーツとなったアメリカン・ニューソート運動について語っている。宇宙的楽観主義とは引き寄せの法則みたいなもん、と思ってもいいかもしれない。
みなさんの問いやスプレッドでセルフリーディング。コートカードの逆位置がバンバン出てくる。「宇宙的」ということは「個人的」を超越している、という意味で人物カードがひっくり返り続けているのか。(個別のリーディングはこちら)
●エテイヤのリーディングでカードを開きっぱなしにしていたので、そのほかのリーディングのためにゾンビタロットの初代に再登板していただく。今現役で使っているのは三代目で、二代目はサビアンとの対応カード写真を取るため、適した順番に並べてある。
初代をシャッフルしていると、手に優しく馴染む。カードの角がなくなっていて柔らかい。一番移動が多かった時期に持ち歩いていたカードで、これを手に取ると初心を思い出す。
●レイチェル・ポラックがお亡くなりになった。追悼の意を込め、彼女の著書「タロットバイブル」より女帝のカードのために作られたスプレッドでセルフリーディングする。この本は、大アルカナのすべてのカードのために、一つずつスプレッドが作られている。女帝は彼女のイメージから選んだ。
セルフリーディングなのに、ポラックさん本人に占ってもらっている気持ちになってきた。そうか、タロットスプレッドは、セルフリーディングだけどスプレッド作者に占ってもらっているという感覚もありえるのだと気付く。